8/27 乙女座太陽と魚座土星のオポジション
魚座の土星ってなんなのだ?
約3年は滞在するし、このオポジションをあと3回経て、ようやっと今回のテーマがわかるんだろうけれど、従来通り「試練」や「限界」みたいなテーマがあるならば、魚座って最終試験みたいな段階なのか?
だとしたら今年の試練をどう来年に活かす?
そもそも「未曾有の危機」なんてものはありふれてて、それを乗り越える術や努力をできなければ生き残っていけないというのが、自然界のルールなのかもしれない。
約3年で一つのサインを通過する土星がもたらすであろう「試練」とは、その「危機」に近いものなのかもしれず、だけどあまりに伝わる速度の速くなりすぎた現代においては、それについて体験しないうちからその言葉に慣れすぎてしまっているみたいで、本当の危機がそこまで差し迫っていることに、当人たちが気づけていないのかもしれない。
そんなこと言ってる私だってそうなのかもしれないんだ。
なんたって2023年は卯年だ。十二年ごとに巡ってくる災厄の年...12年前はそう、2011年。
東西の反対側の海で起きたあの出来事から、私は何か学んだのだろうか?
いつ何が起きるかわからないと考える危機感は、普段の生活においてはとても低い。
今だってクーラーつけて過ごしてるけど、こんなふうにものを考えたり本を読んだりは、暑すぎる真夏の昼間も寒すぎる冬の日にもとてもできることではない。
頭では無理の効くことでも、いざとなると身体のほうが正直なのだ。
反対に、頭でいくら考えたって答えの出ないことが、ちょっと休憩してみたり身体を動かすことでひらめくこともある。
どっちかに偏りすぎないこと。
またチャートを読む前から勝手に広がってく無駄話...いや、チャートや占星術関連の知識をあさるだけじゃわからないことが、こんな風に直感や体感を通して現れてくるのかもしれない。
そうそうまさにここで引用してた松村先生の言葉だってそうだ。
・より具体的に自分の足元を見て自分の失われた記憶の中を探る18度
・大きなことを考えるのではなく小さいところで何をすればよいのかを考える
・小さなものの中に大きなものが隠れていて大きなものを思い出すために小さなものに集中する
知識や目の前のチャートにばかり囚われていては見えなかったことが、日々の暮らしや過ごした時間の分、積み重なっている。
ところで [8度] まで進んでいた土星は[ 4度 ] まで戻ったところで太陽とオポジション。
最終的には1度(0.31度)まで、と危うく水瓶座に戻る手前。
土星-太陽オポジションのASCはその水瓶座で、土星は1ハウスの真ん中にある。
向かい側の太陽を挟んだ金星(DSCコンジャンクション)と水星も逆行中で、なんだか自分自身も他者も輪郭がはっきりしない感じ。
チャートルーラーの天王星はギリギリ逆行に入る直前で、同じく牡牛座にある木星もまだ順行中ではあるが、すぐに逆行に切り替わる。
木星/土星/海王星/冥王星あたりがコンタクトをとっていたここ数年は外側の変化こそ目まぐるしかったけれど、2023年からはちょっと雰囲気が変わってきたようだ。
変化に適応しようとする自分自身の変化。
そこにおける理想と本音と外側から求められるものとのせめぎ合いが激しくなっているような。
これこそがと思って差し出したら誰にも求められてなかったと絶望的になったり、でも本当は自分自身がそれを必要とはしていないかっただけだったり、どんな言い訳も通用しない。
でもやってみなくちゃわからない。
結果がすべて、とは言っても従来通り額面通りに受け取るのではなく、その結果から何を感じどう考え次を展開してくのかが大事なのだ。
まだまだ変容は続く。
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