ドラコニックの移動/テイルと月の合
8月に書き始めたこの記事。まだまだ先のこと、とタカを括っていたのにもうすぐだ。
天王星が順行に戻る頃、ドラコニック(太陽と月の交点である龍頭と龍尾の2軸)もサインが変わります。
ということはネイタルの月とドラゴンテイル(龍尾)のコンジャンクションが起こる。
ドラゴンヘッド/テイルの一般的な解釈は、テイルが過去生などでやり慣れてることで、ヘッドは苦手とすることだけど挑戦すべきテーマ。
私はたまたまヘッドが太陽と同じサインにあるからか、太陽は目指すべき方向性なのに苦手意識満載。
本質を生きれないことの苦しさを嫌というほど味わっているのに、どうしても苦手意識が勝ってしまう。
対するテイルのサインの性質、天体は一つもないのに何故かしっくりきてしまう。
でもなぁ、すごく客観的に見たら、思考と感情と心身がバラバラだ。
テイルは風サイン、思考はグルグルっと先走るけど、気づけば心と身体がついてこなくなっている。
ドラコニックは、空に横たわるドラゴン。
元々はインド占星術の思想から来ているけれど、
頭と尻尾の解釈が西洋占星術では逆転しているとの考え方もある。
眠っているドラゴンを起こさないように尻尾の方にいなさい、頭の方を刺激すると喰われちゃうよ、
みたいなのがインド占星術式の考え。
西洋占星術では前述したように、今世は頭の方へ向かい、その課題に挑戦せよ、という感じ。
西洋ではドラゴンは悪者だから退治すべきものという思想も混じってるのかな?
風の時代では善悪じゃなくて、自分の一部分として対峙すべきという考え方のほうがしっくりきそう。
眠っているドラゴンって、最近(8月のこと)ずっとYoutube見ていた並木良和さんの考えからしたら、「目覚め」させなきゃいけない部分なのかもしれない。
テイル的なことから離れて、ヘッドのほうへ向かって行く勇気が必要。
太陽と同じサインならば、単純なことなんじゃないのか?
いやいや、簡単と単純は意味が違う。
さて、ドラゴンテイル-ネイタル月のコンジャンクション、つまりドラゴンヘッドとネイタル月のオポジション、そのチャートから何が読み取れるかな?
トランジットの月は支配する蟹座でASCの手前、ライジングの場所にある。
12ハウスということは、手放していくもの…
TテイルとN月の合というのも手放しを現す。
さらにトランジット図のDSCに太陽と冥王星が合。
手前にはジュノー。ネイタルではASCにぴったり合の小惑星だ。
ジュノーはギリシャ神話のヘラに由来する。
浮気者のゼウスの本妻。だけど、お互いへの愛をちゃんと伝え合うコミュニケーションが必要だったんじゃないか、というような現実的な解釈もあって、天秤座29°で葛藤してる私のジュノーのようで耳が痛い。
カルマ的であっても、目の前のその人を本気で愛しているならば、自分のプライドなんか投げ打って行動に出なくちゃ。
と書いてたこの時は天秤座で水星逆行中。
それからいろいろあって、コミュニケーションは行き違ったまま終わりを迎えた愛もあって。
というか、終わったのかすら確認できない…
私自身が決めることだなぁ。
さてチャートではふたたび、水瓶座で逆行してる水星を発見。
金星も新金星を迎え、アップデートされていく時期。
ネイタルの天体は夏に偏っているので、必然的にトランジットとのオポジションが増えてくるけど、
なかなかに誤差が少なくて、けっこうインパクトすごいかもしれない。
いやいや、何をどう読み解くかが大事。
N太陽とN水星には、T土星がオポジション。
2021いっぱい土星はゆっくりと進んでいたけれど、いよいよ太陽の意図が試される。
制限を制限のままにしていたけど、本当にやりたいことをやるには自立した基盤が必要。
Nのドラゴンテイルも水瓶座にあるが、ここにはT太陽と冥王星が光を当てている。
人生かけて目指すものを、その方向性を決めていくとき。
でも、焦らずにね。
ちなみに、ドラゴンヘッドが月とコンジャンクションしていたのが2012年。
そこから目覚めるまでにずいぶん時間がかかりました。
誰に似たのか低血圧なドラゴンです。
いや、まさにこのくらいの時期からほんとうに朝が弱くなってた。
それは目覚めたい私の内側と目覚めまいとする外側との葛藤だったのかも。
双子座アセンダントにリリスがコンジャンクション。
これ、2021射手座日蝕のチャートに似てるなぁ。
さらに、地平線にドラコニックが乗っかってる。
けどこの時はまだ頭が西の下の方に向かってるから、起きたくなかったんだなぁ。
2022のチャートに戻って。
世界の新旧や裏表が入れ替わる、ということが、
個人のチャートを見ても現れている。
そもそも、意識が先で現象が後だと言われるのも
一つの表現であり真理として理解する必要のあること。
手放すものは大きいけれど、そこに新しい世界を築いていくのが一人ひとりの使命なのだということ。
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