「月の欠損」について

このごろ何かと話題のこのテーマ...
それを知って楽になれる部分もあるにもかかわらず認めたくない、
というのも月の欠損のなせる技かもしれませんが、

いよいよしっかり向き合ってみようと思います。

私の月は2ハウスの射手座1°にあり、
いろいろ思い当たるフシを検証してみてようやく受け容れるに至ったことも含めて、
もう降参するしかないなぁと思います。


占星術家のマドモアゼル愛さんが提唱した「月の欠損」論の要旨はこちら。
(すごくわかりやすくまとめてくださった方のnoteから引用しています)

月星座は、生まれてから7歳くらいまでの間の性質(自我)で、その記憶が純粋に意識の奥底(ほぼ無意識)に残るため、それを「自分だ!」と思い込みやすい(または思いたい)のだが、実際にはその自分は単なる記憶(幻想)であり、現実世界を生きる「能力」という意味においては、基本的には非常に稚拙。


一般的な占星術における月の解釈は、

肉体、感情、性格、癖、欲求、無意識、安心感、女性性、母性、母親、過去世etc...

このように、魂である太陽の受け皿として表裏一体のようであり、

とても重要とされているにもかかわらず、「欠損」とはどういうことだ...

そして一時期は「月の癒し」という言葉もあったくらい、
自己受容という意味合いで月の欲求を満たしたりすることの必要性があちこちで言われていたようにも思います。

それも大切にしつつも、私が今年出合った占星術の学びにおいては、
月の癒やしを卒業して太陽に向かうことの重要性が説かれていました。


それもわかるし「欠損」とまで言わなくても...というのが私のスタンスでしたが、

それが甘かったような気もしているのが今現在です。

自戒も込めて、書いてみよう。


マドモアゼル愛さんが書いている射手座の月の欠損については、
先日も見て苦しくなりましたのでリンクのみ。見たい方、ご覧ください...。

私の月の欠損、高邁な憧れや理想を抱くことが自分の首を締めるということなのだと気がつきました。それがなければがんばれないとか思っていましたが、逆でした。がんばる方向性が違ったのです。ないものねだりして現状を悲観的に見るのではなくて、日常や目の前のことに楽しみを見出しながら、コツコツとこなしていくことが私に必要なことなのだと。

なんだそんなことができないのかー。と、人のことならば客観的に見れるのに、自分ことになると盲目に。まさに「月の欠損」のなせる技...


ハウスで言うと、2ハウスとは所有するもの、つまり才能や金銭なども表しますので、才能もない!ということになってしまいます(涙)。そしてプライベートの領域でもありますので、単なる自己満足の理想を描くことでは金銭は得られないし、自分の安心感のためだけに何かを求めることもできない。月は満ち欠けするので不安定とも言われます。
そして、射手座の良さであるおおらかで楽観的で前向きなところに憧れ恋焦がれていた時もあったけれど、それは結局私にはないもの。離れられず執着にまでなってしまった過去も、潔く認めよう。

ちなみに私の2ハウスには射手座の海王星も入っているので、大きすぎる理想と幻想で、もうどうしようもない人のよう...

でもですね、先ほどのnoteの方も書いてくださっているのですが、これをそのまま受け取って自分を責めるのではなくって、

「月の純粋な思いを、人類全体に対する祈りとして使うと道が開ける」

のだそうです。

私の場合はそうですね、星読みの学びを自分の探究心(という幻想)を満たすために使うのでなく、社会において役立てることを求められていたんだなぁと、あらためて感じています。


また「月の欠損」を克服していくには、反対側のサインの性質を目指すといい、とも言われます。

私の月の反対側のサインとは双子座。サビアンも見ると、双子座1°です。

ここに書かれている目指す方向性というのは、

・知的好奇心を働かせてこの世界を知り尽くすこと。

・新しい情報をどんどん仕入れていくこと。

・面白いことを探しまわるような姿勢で日常を楽しむこと。

・浅く広く情報をあさって自分に刺激を与えること。

・浅く広い対人関係で自由度を保つこと。

・好奇心の赴くまま積極的に行動していくこと。

・人間ウオッチングで人の行動原理などを観察すること。

なるほど、私自身がとても身軽に動けていた時の状態な気がします。

1°というのはそのサインのパワーを一気に爆発させて全開にする度数。
細かな意味もヒントですが、ここはふたご座らしく浅く広く捉えるのがいいのかなぁとも思っています。

そうすると、目の前にふたご座テーマを持った人が現れてくれる不思議...

学び続けることはもちろん、教えることもしてみたいなぁと考えたり、

ふたご座は「小学校低学年の男子」にも例えられます、甥っ子もお手本にしてみよう。


月を統合する


ようやく、反対の性質に向かうということが腑に落ちてきたこの頃ですが、やはりずっと一緒にあった月を手放していくと考えると痛みを伴います。

欠けてはいるけど確かにそこにあるもの。

手放す、という解釈ごと変えていく必要があるのかもしれません。
手放すのではなく、統合していくというふうに考えたらどうだろう?

統合なんていうとスピっぽいですが、その意識も月射手座的には欠損なんでしょう。


月が欠けている=光が当たらない部分

ですが、その欠けた部分にのみ光をあてようとするのでなく、太陽自体の明るさやパワーを強めることで自然と月も満たされていると理解することが必要なのだと思います。

やり方は個人個人のホロスコープでも異なってくるとは思いますが、

私の場合はやはり、ホロスコープの上部、社会生活を満たさなければ私生活も満たされない、というのが明らかになりました。それも理想は高くしすぎず、です。

引きこもりたい時もありますが、速やかに復帰しなければいけないようです...


何度目か、殻を破る時期はそろそろかもしれません。

Atelier Soleil

「私らしさってなんだろう?」 
2020年に星読みと出会い、その問いに答えを見出すべく日々星と向き合う中で、 少しずつ見えてきたことをシェアしています。 自分らしい輝きで人生をクリエイトしていこう。 « アトリエ・ソレイユ ~太陽のアトリエ ≫ という名前には そんな想いを込めています。

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