11/13 蠍座新月
変化の流れは、獅子座の下弦の月から徐々に来てる気がする。
蠍座っぽい「死と再生」が、少々激しい形で現れたような。
俯瞰してみれば大したことないのかもしれないけど、
すっかり沼に足をとられて首まで埋まってたような苦しさだった。
さて澱んだ沼に流れを通すことができたのか?
自分の意志で流れに再び乗っていくことができるのか?
動きが悪くなるというよりは、飛ばし過ぎそうな感じも否めない。
そこでガクッとつまづかないよう慎重に調整しながら進んで行くのが良さそうだ。
必要なものをちゃんと見極めて、でも思い切って手放す潔さも必要。
なるほど、下弦の月の前にこれをやらされてたんだなぁという感じ。
自分の限界を超えてたりコントロール不可になりつつあるものを手放す必要があった。
獅子座IC、自分の範囲でできることなんてほんの少しだと落ち込んでみたけど、
逆なのだ、それができてれば十分。
だからもう無理だと思ったらそれは自分にはいらないもの。
蠍座的なネガティブな側面は「自分には何もない」。
だから、がんばっちゃう。
人から求められれば、なんでも要求を受け入れてしまう。
同じ水サインの魚座はそれが行きすぎて犠牲的になるけど、
蠍座は自分の価値を感じるため、相手の関心を惹くため。
蠍的な土地に住んでると、そういうのに気をつけなきゃとすごく思う。
まさにこの秋の盛りは、新米やら紅葉やらで観光客のかき入れどき、
体は一つしかないのに、やれ収穫だの接客だのと、あちこち人手不足なのを耳にすると、
ついつい手を貸してしまいたくなる。
若い時はお金のためにがんばれたけど、今はそうでもない...
なんでちょうどよく回るようにならないんだろうかと、いつも思う。
人が減ってるなら、事業の規模も縮小しないとだよなぁ。
そんなことしたら立ち行かなくなるって思ってるけど本当??
なんて、雇われている側だから言えることなのかな。
でも今回はがんばればがんばるほどすり減っていく危機感。
元々の器の小ささも自覚して悔しい気持ちもあったけど、まぁそれも蠍的な心理トラップだ。
身体からのNOがあまりにも大きくなり、自分のネガティブな面を曝け出してでも、自分を守る必要が出てきた。
だいたいいつも限界まで我慢して、冷静じゃなかったよなーと思うことが多いなぁ。
いい加減、学習しよう...
木星・土星・冥王星がノーアスペクト状態。
天秤座グレコン世代の私たちにはどんな影響が出てくるんだろうか?
学習しない、ってことか?
いやいや、これからもこういうことが手を替え品を替えやってくるのかもしれないけど、
もう二度と同じ過ちを繰り返さないように、沼にハマりながらも流れを変えていく意図を。
解決策は絶対に見つかるはずだから。
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